エネルギーや通信の世界で、AIユーティリティOS「Kraken」を活用したインフラ運用の高度化が急速に広がっています。世界7,000万件超のアカウントを管理するこの”インフラの頭脳”は、2025年末に約10億ドルの出資を受け、評価額約86億ドルで分社化が発表され、日本では東京ガスがすでに採用しています。
3行サマリー
- 2025年末、Octopus EnergyはテックブランドKrakenを分社化し、約10億ドルの出資を受けて評価額約86億ドルに達したと発表しました。
- KrakenはAIを搭載したユーティリティ向けのOSで、40以上の事業者・27カ国・7,000万件超のアカウントの顧客管理から料金計算、分散電源の制御まで、ひとつのプラットフォームで完結させます。
- 家庭用VPPでは2GW超のデバイスを制御し、1日150億件超のデータを処理。需要応答とグリッド最適化を通じて、ユーティリティ企業の新たな収益源を支える基盤になりつつあります。
Krakenとは何か:ユーティリティOSの概要
Krakenは、イギリスのエネルギー企業Octopus Energy Groupが生み出した「ユーティリティ向けのオペレーティングシステム(OS)」です。料金計算や請求、カスタマーサポートはもちろん、再生可能エネルギーや蓄電池、EVといった分散エネルギー資源まで、あらゆるものをひとつのプラットフォームで管理できます。
Kraken Technologiesはもともと、Octopus Energyの社内システムとして誕生しました。それがやがて他社へもライセンス提供されるようになり、今では40以上の電力・ガス・水道・通信事業者に採用され、契約ベースで7,000万件超の顧客アカウントを管理するまでに成長しています。
2025年末には、KrakenをOctopus本体から切り出して独立したテクノロジー企業として分社化する計画が明らかになりました。約10億ドルのエクイティ出資を受け、評価額は約86億ドルにのぼり、今後2年以内のIPOも視野に入れているとも報じられています。エネルギー小売企業の「社内システム」が、気づけばユニコーンをはるかに超える価値を持つ”ユーティリティOS企業”へと変貌した——そう表現するのがいちばんしっくりくるかもしれません。

出典:Kraken
こうした動きの背景には、再エネの大量導入やEVの普及によって、電力系統の運用がかつてないほど複雑になっているという現実があります。各国の規制当局はスマートメーターの導入や系統の柔軟化を推し進めていますが、それを実現するためのソフトウェアは長らく不足していました。Krakenはまさに、この「政策の意図と現場のシステムのあいだにあるギャップ」を埋めるプラットフォームとして注目されています。
Krakenのプロダクト構成と技術的な特徴
Krakenの中核は、顧客情報・契約・料金計算・請求・問い合わせ対応をまとめて扱うクラウド型の基幹システムです。従来のユーティリティ向けシステムでは、CRM・請求・メーター管理・コールセンターがそれぞれ別のベンダー・別のデータベースに分かれていることが多く、ちょっとした改修のたびに大規模プロジェクトが動き出す、というのが当たり前でした。Krakenはその構造をフルクラウド・API前提で一から設計し直し、「1つのデータモデルで全てを扱う」ことを強みにしています。
もうひとつの大きな特徴が、分散エネルギー資源(DER)の最適化モジュールです。EV・家庭用蓄電池・ヒートポンプなどの機器からメーターデータや稼働データを集め、料金メニューや系統状況に応じてリアルタイムで自動制御します。たとえば夜間の電力が安くCO₂排出が少ない時間帯に、EV充電や給湯を集中させるよう最適化しつつ、系統側には需要応答や調整力として活用する、といったことが可能です。
Krakenは、このDER最適化のために膨大なデータをリアルタイムで処理しています。公表されている数字によると、1日に150億件超のデータポイントを処理し、時間帯別料金や需給予測に活用しているとのこと。英国のEV向け料金メニューでは、メーターデータをもとに100MW単位のフレキシビリティをグリッドに提供しており、合計で700MW規模の柔軟性を電力市場に売電しているとも紹介されています。
2025年には、家庭のEV・蓄電池・ヒートポンプをまとめて管理するバーチャルパワープラント(VPP)の容量が2GWを突破し、「世界最大級の住宅用VPP」として発表されました。大型ガス火力発電所1〜2基分に匹敵する出力を、家庭にある機器の集まりで生み出しているイメージです。もはや「安く請求書を出すシステム」ではなく、「家庭を束ねて分散型の発電所にするプラットフォーム」というのがKrakenの実像に近いでしょう。

出典:Kraken
さらに、現場作業員のスケジューリングやトラブル対応、チャットボット、セルフサービスのポータルといった顧客接点まわりの機能も、すべて一体で提供されています。ユーティリティ事業者は、料金メニューの追加や新サービスの立ち上げをAPIや設定変更で素早く実現できるため、「新しい料金プランを作るのに2年かかる」という感覚が、数週間〜数カ月のサイクルへと変わります。このスピード感が、SaaSに慣れた経営陣や事業開発チームにとって大きな魅力になっています。
世界各地の導入事例と日本での展開
Krakenはまず英国・欧州の電力・ガス小売事業者への展開でシェアを広げてきました。英国大手のEDFやE.ON、イタリアEniの小売ブランドPlenitude、オーストラリアのOrigin Energyなどが代表的な導入先です。これらの企業は、自由化競争の激化やエネルギー危機を経て、顧客サービスの質と柔軟な料金設計の両立を迫られており、Krakenを「次世代の基幹システム」として選んでいます。
北米では、カナダの公営ユーティリティSaint John Energyが、Krakenの顧客プラットフォームとフレキシビリティプラットフォームをセットで採用しました。顧客管理・請求から資産管理への移行を進めながら、ヒートポンプやEVを活用した低炭素技術の普及を目指すとのことです。また2025年には、米国の大手送配電事業者National Grid USとも提携が発表され、650万件以上の顧客に向けたエネルギーサービスの近代化プロジェクトが動き出しています。
日本では、東京ガスが最初のライセンスユーザーです。2020年にOctopus Energyとの資本業務提携を結び、2021年に「TG Octopus Energy」という合弁会社を設立。その中核システムとしてKrakenを採用しました。2023年の発表では、まず約300万件の電力顧客を対象に導入し、将来的には1,000万件超のガス顧客への展開も視野に入れていると説明されています。
興味深いのは、水道や通信といった「エネルギー以外」のインフラ分野にも広がっている点です。英国のブロードバンド事業者TalkTalkは顧客管理プラットフォームとしてKrakenを全面採用。水道会社のSevern TrentやPortsmouth Waterも、再エネ調達や顧客サービスの高度化にKrakenを活用すると報じられています。ユーティリティの世界で磨いた「大量アカウント管理」「高頻度データ処理」「規制対応」のノウハウを、そのまま他のインフラ産業に展開しているかたちです。
エネルギー転換・規制強化の中でのKrakenの位置づけ
世界各国でカーボンニュートラルや再エネ大量導入に向けた政策が加速しています。欧州ではCO₂価格制度や系統利用ルールの見直しが進み、需要側の柔軟性を活かす「フレキシビリティ市場」が本格的に整備されつつあります。日本でも、容量市場の創設や託送料金の見直しなど、電力システムをより柔軟にするための議論が急速に進んでいます。こうした政策を現場で機能させるには、「需要家側の機器をまとめて制御するOS」の存在が欠かせません。
その役割は従来、系統運用者・小売電気事業者・アグリゲーターがそれぞれ独自のシステムを構築して担ってきました。しかし各社がバラバラに開発を続けると、コストも時間もかかるうえ、標準化も進まないという壁にぶつかります。Krakenは「規制要件にしっかり対応しながら、複数国に水平展開できる共通OS」という立ち位置をとることで、この問題をまるごと解消しようとしているわけです。
エネルギー危機や電気料金高騰を経験した欧州では、「顧客との関係性をどう築くか」がこれまで以上に問われるようになりました。安い料金を提示するだけでなく、アプリで省エネをサポートしたり、需要応答への参加に報酬を設けたりする仕組みが求められています。Krakenは、アプリ・Webポータル・料金メニューを素早く組み合わせて、そうした「参加型」のサービスを作りやすくするプラットフォームとして活用されています。
日本でも今後、系統制約が厳しい地域を中心に需要応答や分散電源の活用が一段と重要になります。東京ガスとOctopusの合弁は、単なる電力小売参入にとどまらず、「日本でのフレキシビリティプラットフォームの実証実験」という意味合いも持っているように見えます。複数の送配電事業者と短期間で接続を実現し、時間帯別料金を全国展開している取り組みは、日本の他社にとっても大きなヒントになるはずです。
他の選択肢との比較・棲み分けと、企業・人材への影響
ユーティリティ向け基幹システムの世界では、これまでSAPやOracleをはじめとする大手ベンダーや、エンジニアリング系大企業の自社開発システムが主流でした。実績は豊富な一方で、「導入に数年」「改修に数億円」という重厚長大なプロジェクトになりがちというのが長年の悩みでした。Krakenは、そうしたレガシーシステムの代替・補完として、「クラウドネイティブ」「APIファースト」「反復的な改善」を前面に打ち出している点が根本的に異なります。
ひと言で表すなら、「インフラ業界版のSalesforce」を狙っているポジションです。汎用CRMでは対応しきれないメーターデータ・時間帯別料金・系統制約といったユーティリティ特有の要素を標準機能として備えつつ、その上で各社が自社ならではの料金メニューやサービスを組み立てるイメージです。完全な汎用SaaSとして振る舞うわけではなく、規制対応や市場ルールへの深い対応を武器に、参入障壁もしっかり築いています。
企業側からすると、KrakenのようなOSを採用することで、「どこまでを自前で作り、どこからを外部に任せるか」という線引きが変わります。たとえば、請求・メーター連携・基礎的なDER制御はKrakenに委ね、自社ならではのアプリ体験・料金設計・データ分析にリソースを集中させる、という戦略が現実的な選択肢になります。その分、社内にはプロダクトマネージャー・データサイエンティスト・API連携を設計できるエンジニアへの需要が高まるでしょう。
人材の面では、「系統や料金の業界知識」と「クラウド・データのスキル」を両方持つ人の価値が大きく上がります。従来のユーティリティでは、料金設計は企画部門、システムは情報システム部門、系統は技術部門と縦割りになりがちでした。Krakenのようなプラットフォームをうまく活かすには、それらを横断してサービスを設計できる人材が不可欠です。日本のエネルギー・通信・水道事業者でも、同じような変化が訪れるのは時間の問題だと感じます。
筆者の視点
個人的にKrakenで最も注目しているのは、「エネルギー転換のOSを、民間SaaSとしてグローバルに展開している」という点です。政策や規制の議論はどの国でも進んでいますが、それを現場の顧客や機器につなぐ具体的な仕組みは、いつも後追いになりがちでした。そのギャップを埋める役割を、政府でも公的機関でもなく、民間企業が自ら担いにいった——Krakenはその典型例だと思います。
事業開発の観点では、「どこまで共通OSに乗るか」の見極めが今後のカギになると感じます。すべてを外部プラットフォームに任せれば差別化しにくくなりますし、かといって全部自前で作ろうとすればスピードもコストも立ちゆかなくなります。顧客体験や地域特性に直結する部分は自社で持ち、共通化しても競争力が落ちにくい部分はKrakenのような外部OSを使う——そういう切り分けができるかどうかが、勝ち負けを分けると思っています。
日本企業の視点では、東京ガスとOctopusの合弁はあくまで「最初の一歩」です。電力小売に限らず、ガス・分散電源・EV・ビルマネジメントなど、さまざまな領域で「データ+OS」を軸にしたビジネスが生まれる余地があります。そのとき、海外製のOSをどう活用し、そこに自社のどんな強みを乗せるかが、中長期の競争力を左右するはずです。
最後に、Krakenの動きはユーティリティに限らず「レガシー産業×SaaS」のひとつのモデルケースとして見ておく価値があります。基幹システムをクラウドネイティブに置き換えながら、政策・規制との整合性を保ち、VPPやフレキシビリティ市場という新しい収益源まで創り出す。この“インフラの頭脳”づくりは、ガス・電力・水道・通信だけでなく、鉄道や自治体サービスにも共通するテーマです。その意味で、Krakenは「インフラDXが向かう先」をひと足早く体現している存在だと感じています。
参考リンク集
- Octopus Energy/Kraken公式サイト(2026年閲覧):Krakenの全体像と製品ラインナップが整理された公式紹介ページ。
Kraken公式サイト - Reuters(2025年12月29日):Octopus EnergyがKrakenを分社化し、約10億ドルの出資と約86億ドル評価を受けたことを報じた記事。
Octopus Energy to spin off technology arm Kraken - Financial Times(2025年10月):Krakenスピンオフの狙いと、1億アカウント超への拡大、IPO構想などをまとめた分析記事。
Octopus Energy to spin off technology arm Kraken - Krakenプレスリリース(2025年7月16日):家庭用エネルギー資産2GW超を制御する世界最大級のVPPを達成したことを伝えるリリース。
Kraken hits 2GW residential virtual power plant - Octopus Energyプレスリリース(2023年10月12日):東京ガスが日本初のKrakenライセンスユーザーとなり、約300万件の電力顧客を対象に導入することを発表した資料。
Konnichiwa Kraken! Tech platform licensed by Tokyo Gas - BusinessWire(2025年5月21日):米National Grid USがKrakenを採用し、650万件超の顧客向けに顧客サービス・料金・エネルギーサービスを近代化する契約を結んだことを伝える記事。
National Grid and Kraken Sign Deal - Wikipedia(2026年閲覧):Kraken Technologiesの沿革、事業規模、導入先などをコンパクトに整理したページ。
Kraken Technologies – Wikipedia

