はじめてのGX-ETS:日本の「排出量取引制度」をゼロから理解する

GX-ETS(ジーエックス・イーティーエス)は、企業ごとに「CO₂の排出予算(排出枠)」を設定し、余った枠は売り、足りなければ買うことで、日本全体の排出削減を最小コストで進める仕組みです。2023年度から任意の試行を経て、2026年度から本格運用(義務化)へ移行します。

本記事では、初心者でも「全体像→実務→戦略」の順で理解できるように解説します。

目次

1. GX-ETSとは?(まずは全体像)

GX-ETSは、政府が経済全体に「排出総量の上限(キャップ)」を定め、企業に排出枠(アローワンス)を配分する排出量取引制度(Emissions Trading Scheme:ETS)です。各社は年度末に実排出量と同量の枠を償却(返納)します。余剰枠は売却可能、不足分は市場で購入できます。結果として、削減コストの低い企業が多く削減し、高い企業は市場で調達することで、全体として費用対効果の高い削減が実現します。

  • フェーズ構成のイメージ
    ・第1フェーズ:2023〜2025年度(任意の試行)
    第2フェーズ:2026年度〜(義務化)
    ・第3フェーズ:2033年度〜(発電部門でオークションを段階導入)

2. だれが対象?規模感は?

対象は「CO₂の直接排出が直近3年平均で10万トン/年以上」の大口排出事業者(法人単位)が中心です。対象企業は約数百社規模、国内排出の大部分をカバーします。ここでいう直接排出は、工場ボイラーやプロセスからの排出など、自社の燃焼・工程由来のCO₂を指します(電力使用に伴う間接排出は基本的に別扱い)。

3. 年間サイクル:企業は何を“いつ”やる?

GX-ETSは「測る → 申請 → 配分 → 記録 → 償却」の年次ループで回ります。実務フローの要点は次のとおりです。

  • 算定・検証・報告:工場/ライン/設備単位で排出量を算定し、第三者確認に耐える形で報告。
  • 配分申請:ガイドに沿って必要データ(活動量、生産量、設備情報など)を整え、年度の割当枠の算定・申請を行う。
  • 枠の受領(当面は無償中心):業種に応じたルールで割当。
  • 不足分の調達:他社の余剰枠やカーボン・クレジットで補填。
  • 翌年1/31に「実排出量と同量」の枠を保有=償却(未達だと負担が発生)

4. 配分の考え方:ベンチマークとグランドファザリング

「その年に使えるCO₂の持ち点(=割当量)をどう決めるか」という計算ルールが大きく2つあります。業種や工場の特性に合わせて、どちらか(または組み合わせ)で決まります。

まずはシンプルに

  • ベンチマーク方式
    同業の効率の良い水準(原単位)を「物差し」にして、生産量 × 目標原単位で割当量を出す。
  • グランドファザリング方式
    自社の過去の実績(基準排出量)をベースに、基準排出量 ×(1 − 削減率)で割当量を出す(早期削減や海外流出リスクなどで微調整あり)。

ベンチマーク方式:伸びるほど“効率”がモノを言う

考え方は「よくできた人の基準で、みんなの目標を決める」。効率の良い生産(低い原単位)ほど有利になり、生産が増えても、効率が良ければ割当量もそれに見合って増えるのが特徴です。需要が伸びる業種や、効率改善の余地が大きいラインで相性が良い方式です。

ミニ例:
ある製品のベンチマーク原単位が1.40 t-CO₂/単位。自社の当年生産が1,000単位なら、
割当量 = 1,000 × 1.40 = 1,400 t-CO₂
実排出が1,300 tなら100 tの余剰(=超過削減)になり、1,500 tなら100 t不足(市場で調達)になります。

  • 向いているケース:増産基調、最新設備への更新が進む、効率KPIで現場を回せる。
  • 注意点:原単位(効率)を正しく測れないと損をする。活動量データ(生産量)の整合性が生命線。

グランドファザリング方式:過去実績から一定量削減

考え方は「自社の過去ベースから、毎年ちょっとずつ削る」。需要が横ばい〜減少の業種や、操業度の上下が大きい工場でも使いやすい方式です。早期削減の実績、リーケージ(海外流出)リスク、R&D投資、活動量の変動などで割当量を微調整する仕組みが入るのが一般的です。

ミニ例:
自社の基準排出量が1,500 t-CO₂、その年の削減率が10%なら、
割当量 = 1,500 ×(1 − 0.10)= 1,350 t-CO₂
実排出が1,320 tなら30 t余剰1,400 tなら50 t不足
もし過去に大規模な省エネを既に済ませていれば、早期削減の考慮で調整が入る場合があります。

  • 向いているケース:需要が安定/低下、既存設備の比率が高い、過去の削減努力を正当に評価したい。
  • 注意点:操業度が急上昇すると、割当が追いつかず不足が膨らむことがある。活動量の変化を示す証拠(データ)を準備。

どちらが“有利”? 3つの見極めポイント

  • ① 需要と操業度:増産=ベンチマークが相対的に有利。横ばい/減少=グランドファザリングが安定。
  • ② 効率改善の余地:設備更新や運転改善で原単位を下げられる見込みが大きいならベンチマーク。
  • ③ 過去の努力の扱い:既に先行して削減しているなら、グランドファザリングの調整(早期削減考慮)が効きやすい。

5. 市場で“何を”どこで売買するのか?

GX-ETSで売買の対象になるのは2種類だけです。違いと使い道をまず押さえましょう。

  • 排出枠(アローワンス)=制度の「正貨」
    国が配分する「その年に使えるCO₂の持ち点」。期末の償却に必ず使う通貨で、不足なら枠を買う/余れば売る。売買は義務化フェーズの枠市場で行われ、価格の上下限などの安定化措置が想定されています。
  • カーボン・クレジット=削減を証書化した“代替券”
    J-クレジット/JCMなどの認証クレジット。東証「カーボン・クレジット市場」で売買し、期末償却の一部を置き換えられますが、適格条件と使用上限(年度排出の一定割合まで)に注意が必要です。

かんたん比較

  • 発行主体:枠=国の配分/クレジット=認証プロジェクト。
  • 使い道:枠は償却の“必需品”クレジットは上限内での“補助”
  • 価格:枠とクレジットは別市場で形成。スプレッド(価格差)を見て調達最適化。
  • リスク:枠不足は負担金リスク/クレジットは適格性・上限超過に注意。

ミニ例:実排出100に対し、受取枠95なら不足5。まずは枠の購入で埋めるか、上限内でクレジットを充当(例:上限10%なら最大10まで可)。両者の価格や社内の方針に合わせて、「枠:クレジット」の比率を決めます。

6. クレジットはどこまで使える?(上限10%イメージ)

義務化フェーズでは、クレジットの使用上限が「各年度の実排出量の10%」程度とされる設計が想定されています(最終仕様は最新ガイドで要確認)。海外ETSでも5〜10%程度の上限が一般的であり、自社削減を補完する柔軟性の枠として位置付けられます。

例:その年の実排出が120、割当が100の場合、不足は20。クレジット上限が実排出120の10%=12なら、12まではクレジットで充当し、残り8は余剰枠の購入や追加削減が必要です。

7. 義務未達時の扱い

GX-ETSでは、翌年1/31までに「実排出量と同じ量の排出枠(アローワンス)」を保有・償却する必要があります。これに足りない(未達)と、未履行トン数 × 価格上限 × 係数(例:1.1)金銭負担が発生する想定です(価格の上下限などの安定化ルールとセット)。

ミニ例:不足1,000 t、上限価格が1万円/t、係数1.1なら、約1,100万円の負担。つまり、「市場で早めに埋める>未達で払う」構造です。

  • 未達を避けるコツ:①月次で不足見込みを可視化、②価格が落ち着いた時期に安全在庫(セーフティストック)を確保、③買付&承認フローを短縮(取引口座・社内決裁を前倒し整備)。
  • どちらを買う?:まずは排出枠で不足を埋めるのが基本。クレジットは上限内の“補助輪”として活用(適格性と年度上限に注意)。

8. CO₂に“価格”がつくと、企業はどう変わる?

  • 投資判断が“炭素コスト込み”になる:
    省エネ、電化、燃料転換、再エネ、CCUSなどを「1t削減あたりの実効コスト」で比較。排出枠やクレジットの想定価格を入れてIRR/回収年を評価します。
  • データが意思決定の土台になる:
    計測→第三者検証に耐えるデータ統治が必須。工場・ライン別の燃料/活動量、排出係数、原単位KPIを整備し、月次で不足見込みを可視化。
  • “余剰枠をつくる”発想が競争力に:
    運転改善・設備更新・PPA等で割当以下に排出を下げ超過削減枠を販売して収益化。価格局面に応じて「減らす×買う」の比率を機動的に調整。

9. ミニ事例:年120万t排出のA社(戦略の組み方)

前提:実排出120万t、割当100万t → 不足20万t。クレジット上限は実排出の10%=12万t

  • パスA(市場依存):不足20万tのうち12万tをクレジット、8万tを余剰枠購入。価格高騰時はコストリスクが大きい。
  • パスB(内製削減+市場):省エネ・燃転・電化等で8万tを削減し、残り12万tはクレジット。投資回収+価格リスク低減を両立。
  • パスC(内製強化):内製で20万t削減し、将来は超過削減枠の売却も視野。初期投資は重いが、中長期の競争力が高い。

最適解は、「削減(内製)× 調達(枠/クレジット)」のポートフォリオ最適化。削減単価、資本コスト、将来のCO₂価格シナリオを織り込み、年度ごとに組み替えます。

10. 電力部門の行方:2033年度から“有償配分”へ

発電事業者には、2033年度ごろからオークション(有償配分)を段階導入する方針が示されています。電力料金にCO₂価格がより適切に反映され、需要家側の省エネ・電化・再エネの価格シグナルが強まります。電力多消費型の産業は、電力調達戦略(PPA/自己託送/需要最適化)の設計がいっそう重要になります。

11. FAQ

Q1. カーボン税と何が違う?
GX-ETSは「量の上限(キャップ)+市場取引」で価格は市場が決める仕組み。カーボン税は価格を先に固定し、量の出方は市場任せ。日本は両者を役割分担しつつ整備していく考え方です。

Q2. 東京都などのローカル制度とはどう重なる?
→ 全国制度(GX-ETS)と都道府県制度は整合性の確保が基本。重複・二重カウント回避のため、最新のガイドラインに沿って実務処理します。

Q3. 今すぐやるべき“最初の一手”は?
(1) データ基盤(算定・検証・監査に耐える)(2) 配分最適化(活動量・原単位の根拠整理)(3) 削減ポートフォリオ(省エネ/燃転/再エネ/CCUSのIRR比較)(4) マーケット方針(枠/クレジットの比率)(5) 体制整備(権限・承認・内部統制)の5点です。

12. 参考リンク集

制度の全体像・法制度

配分・割当(ベンチマーク/グランドファザリング等)

取引市場(東証カーボン・クレジット市場)

クレジット制度(J-クレジット/JCM)

算定・報告・公表(温対法:実務の土台)

ローカル制度(参考:東京都ETS)

海外比較(参考:EU ETS・国際データ)

※リンクの内容・URLは日本時間2025年11月1日時点のものです。制度設計は更新が続くため、重要判断の前に最新版をご確認ください。

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この記事を書いた人

・ニックネーム:脱炭素メガネ
・所属:国内大手エネルギー企業
・担当領域:新規事業開発(経験10年以上)
・主なテーマ:次世代再エネ、カーボンリムーバル(DAC/DOC/BECCS/CCUS)、グリーン水素(AEM/PEM等)、LDES、次世代原子力(SMR)、核融合 など
・役割:クライメートテック分野の全社的な戦略策定・実行のリード、スタートアップ出資(スカウティング〜評価〜実行)

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